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失ったもの

うつ病になると、場合によっては失うものが多い。
失ったものなのか、得られなくなったものなのか、
どちらの言い方が適当かはわからないが、
それは頭の中に記憶として残っていたりする。
以前のように湧き出てこない活力の中で、
過去の栄光を取り戻したくなったり、
戻せない過去の幸せを欲してみたりするが、
そんなものは気まぐれに肩に止まったトンボのように、
そのうち飛んでいってしまうものだったのかもしれない。
 
ほとんどの人にとって、
生きてきた人生の時間を単純に振り分けていけば、
幸せな時間よりも、そうでない時間のほうが長いだろう。
過去に栄光があったり、幸せがあったりしたなら、ラッキーなことで、
そうでない時が、今が、実は当たり前の時間ではないのかとも思う。
 
人生はきっと短い旅。
さもない旅行なのに、あれも持って、これも持って、
もしものためにそれも持って、落ち着かないからこれも、
あれもあったら便利で、お土産もいっぱい抱えて、、、
重たい荷物を引きずる苦労が何よりも不便だ。
心の荷物も軽くしてしまおう。
失ったものは必要なかったもの。
それでいいのではないかと。

今を認める

今の自分をある程度幸せに思えない人は、
どんな状況になっても幸せを感じることは難しいのではないかと思う。
お金がない時、お金さえあれば幸せなのに。。と思っても、
実際にお金を持ったら更に欲しくなるかもしれないし、失くす心配をするかもしれない。
恋人がいれば幸せなのに。。と思って恋人ができたとしても、
こんな恋人だったら良かったのにとか、別れたらどうしようとか心配するかもしれない。
どんな状況であっても、楽しむことを意識して、良い点を見つけ、学ばないといけない。
 
今の自分の状況を作り出しているのは自分。
自分がすべて引き寄せているもの。
自分の周りが嫌な人ばかりと思うのならば、嫌な人と思っているのは自分。
自分には不幸なことばかり起こると思っているのならば、不幸だと思っているのは自分。
自分の見方が変われば同じ景色が違うものになるはず。

死にたいと思った時

死は自分が選択できるものだろうか。
右手に「生」、左手に「死」
どちらを選ぼうが自分の勝手なのだろうか。
そのうちきっと自分で生死を選ぶことなんてできなくなるはず。
生死は手の中で転がっているものではなくて、
見上げると遥か上のほうに、手の届かないところにあるもののような気がする。
 
今、自分が手にしているのは「生」。
自分のものではあるが、自分でどうにかできるものでもない。
「死」は「生」の次のハードル。
「生」を乗り越えられない者が「死」を乗り越えられのだろうか。
 
「死」から生還したものはいない。
誰も知らない世界。
現世の理論と常識からしか推測できないもの。
 
死ねば全てが終わるという保障があるのだろうか。
死後の世界が今の世界より辛かったらどうするのか?
誰かそれを証明してくれる人なり事実があるのだろうか?
 
もし、南極という場所の知識が全くなく、予想も出来ない場所であったら、
「北は寒いから南極に行きたい。」と言い出す人がいるかもしれない。
「辛いから死にたい。」も同じレベルの話しかもしれない。




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